INTERVIEW

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GOMA其の一

14/04/16

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

今回のお相手は?

GOMA氏が2回目のご登場です!

前回は過去を掘り下げた内容でしたが、今回はネクストステージに立つ今を直撃です!

インタヴューというよりZERO MAGAZINEとの人生ディスカッション!

白熱トークをご堪能ください!!!

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ZERO MAGAZINE(以下Z):
今回は、2回目のGOMAちゃんインタビューです!

GOMA氏(以下G):
非常に光栄です(笑)。

Z:
前回のインタビューは事故前でしたが、今回は事故後ということになるのですが、その辺りのお話を中心に今のGOMAちゃんを聞いていきたいと思います。

最近は映画の活動で韓国へ行ったり、いろいろ忙しそうですけど映画の反響はどうですか?

G:
メンバー、スタッフを含め、思ってた以上の反響に驚いてますね。

東京国際映画祭、ワールドプレミアをやったんですけど、そのときの反響がいきなりすごかったです。

Z:
自分も行かせてもらいましたけど、本当にすごかったですね。

G:
映画祭の関係者も、あんな独特な空間のワールドプレミアを観たことがないと。

長年やってる関係者でさえ、そう言ってくれるぐらいのインパクトがあったみたいです。

Z:
みんな泣いてましたね。

G:
僕も含めて。

Z:
みんな泣いてたんですけど、自分と同行した近藤進太郎だけは泣いてなかったんですよ(笑)。

2人だけ...。

G:
(笑)!

Z:
2人して、ちょっと...気まずいな...みたいな(笑)。

G:
まあまあ(笑)。

それにしても、あそこからスタートできたことがすごく良かったですね。

Z:
自分も3Dの映画は、いろんなのを観ましたけど、GOMAちゃんの映画はシンプルだけど、インパクトはありました。

普通ならCGを駆使しまくってドーン! って感じですけど、生のライブ感を重視したつくりが最高でしたよ。

あと、スクリーンからGOMAちゃんのディジュリドゥが目の前にガンガンくるんですよね。

ああいう手法って新しくて新鮮でした。

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G:
あれは松江監督の発想の展開というか、発明レベルの手腕ですね。

最初はテレビの企画の話から持ち上がったんですけど、3Dじゃないと僕の脳の症状を再現できないということで、プロデューサーもそれをなんとか実現したいと動いてくれたんですよ。

だからテレビの番組としてが発端ですけど、構想自体は映画にむかってたんですよね。

Z:
映画になって良かったですよね。

G:
良かったです。

映画で救われたと思ってますね。

事故後、もう4年ほどになりますけど、いまだに記憶が消えることもありますよ。

Z:
今日は電車に乗って来ましたけど、以前はそれすら無理でしたもんね。

日々、進歩してますよ。

G:
やっぱり、iPhoneってすごいなって思うんですよ。

とにかく分かりやすい。

アイコンを見て、だいたいの感でタップしていくとOKですからね。

このインタビューのように、ポンと押すだけで録音ができるし、忘れたくないことをメモしたり、写真を撮ったり、iPhoneひとつですべて済むんですよ。

最近ふと思ったんですけど、脳損傷自体はずっと昔からあるわけでしょ?

今でこそiPhoneなんかが身近にあるから失った脳の機能をカバーできますけど、そういうものがなかった時代の脳損傷を考えると、すごくたいへんだったと思います。

やっぱり、ひと昔前の脳損傷患者はどんどん追い込まれていって、精神も身体も病んでしまって家から出れなくなってしまう人もたくさんいたらしいんですよね。

そう考えると、文明の発達ってすごいですね。

人間の失った機能を外付けの道具で再現するという。

Z:
ほんとそうですね。

映画が仕上がってどうですか?

G:
いろいろ勇気をもらうことが多かったです。

Z:
GOMAという人間が劇的に変わっていきましたよね。

G:
映画ができるまで、事故の内情的な部分をあまり表に出してなかったんですよ。

ヘヴィなところもあったんで、出さないように出さないようにって自制してました。

それが映画という形で、できあがった感じですね。

監督自身もヘヴィな部分ばかりを追いかけるんじゃなくて、観終わったあとに躍動感がでるような形で仕上げてくれたので、それがすごく良かったなと。

Z:
ヘヴィじゃなくて、ハッピーな印象でした。

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G:
他のテレビの企画で、リハビリなど苦しい部分を追いかけて、それを撮りたいみたいな企画があったんですけど、そのときの自分の状態としては望むものじゃなかったんですよね。

Z:
そういう部分は見せたくないものですもんね。

G:
そうなんですよ。

Z:
そこは何も言わなくてもがんばってる部分ですからね。

G:
なんか照れくさいというか、恥ずかしいところです。

Z:
ただ、分かりやすくしたいという意味で、そっちを見せたい人ってたくさんいると思います。

G:
少しずつステップを乗り越えて、自分のなかですべて解釈し終わったあとだったら良かったかも知れないですけど。

もがいている時期にそういった企画を持ってこられても、まったくピンとこなかったですね。

Z:
そうですよね。

G:
本当に苦しいときは、なかなか苦しいとすら言えないと思うんですよ。

それを言うこと自体、隠してしまうといいますか。

苦しくないよって態度をとっちゃいますね。

Z:
それがかっこいいんですよ。

そこで苦しいって言ってしまうのも仕方がないんですけど、それを言っちゃうと魅力的じゃないですよね。

G:
うんうん、確かに。

Z:
一度こもって、自分のなかで消化してから表に出すのがいいと思うんですよ。

自分も悩んだり、すごく辛かった時期もあったけど、それを友達に見せたり弱音を吐いたりしたら、言われるほうも辛いと思うんですよね。

だから、自分でいけるところまでこもったほうが、いい結果に繋がるときもあるんですよ。

GOMAちゃんが復活したときのライブにしても、
俺! やりますよーー!!!

って感じで出てきてるじゃないですか(笑)。

G:
落ちるところまで落ちちゃうと、あとは上がるしかないですからね。

事故前に付き合ってた人たちも、いまこうやって客観的に物事を見れるようになると、音信不通になってる人がけっこういるんですよ。

そういうのは、ただただ寂しいです。

Z:
自分は、ミュージシャンをやってて続けていける人って、ほんの一握りだと思うんですよね。

そういう商売ですからね。

だから、途中でヤメてサラリーマンをしようが、土方をしようが、野菜を売ろうが、がんばってたらそれでいいと思うんですよ。

でも、そうじゃない風に捉える人がいるのも事実なので、出にくくなる人がたくさんいるんですよね。

業界から離れた仕事でも、『俺はがんばってますよ!』って胸を張って言えればOKなんですよ。

なのに、業界のなかにいないとちょっとダメみたいな風潮もあるでしょ?

去った人が戻ってきにくい環境ですよね。

人生は長いから、いろいろありますよ。

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映画を機にさらに世界を広げていくGOMAワールド!

光の影では絶え間ない努力が存在しています!

次回はさらに加熱する人生哲学! でお送りします!

次回更新日は4月28日月曜日です!

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明後日18日は梅田AKASOにてフラッシュバックメモリーズの4Dが開催されます!

お時間のある方は是非!!!

TOSHI-LOW其の四

14/01/15

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

BRAHMAN、TOSHI-LOW氏!

堂々の最終回!!!

心の内を紡ぐ語りは、さらに深く! コアに進みます!

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Z:
子供が生まれて何か変わりました?

T:
自分はストレートな道を歩んできたわけじゃなかったんで、父親になるってことに不安がありましたね。

バンドとしても、AIR JAMが終わって、そういうブームとして陰りが見えてくる頃でもあったんですよ。

なんとなく時代とのズレを感じてきた時期でしたね。

Z:
BRAHMANってそんな時期ないでしょ?

T:
いえいえ、あります。

急激な下降はなかったですけど、なんか自分のなかで違和感があったんですよね。

過去の人だよね?、ってなっていくのが分かるというか。

Z:
BRAHMANってそういった印象はまったくないですよ。

常に現役でやってる気がしますけど。

T:
いまになって考えればですけど、そんな時期があった気がしますね。

あと、自分は20代で死ぬと思ってました。

それでいいと思ってた部分もありましたし。

だから30歳以降が自分の予想とつじつまが合わないんですよ。

Z:
じゃあ、いいときにお子さんが生まれてよかったですね。

T:
人生について冷静に考えることができた部分もあります。

バンドを続けるべきか、ヤメるべきか、考えました。

家庭を持って、いままでのようなテンションでバンドができるのかな? っていう迷いがありましたね。

Z:
自分も、子供ができたときにいろいろ葛藤がありましたね。

でもやり切ろうって思ったんですよ。

他の仕事ができないですから(笑)。

T:
俺もそうですね、やり切ろうと。

Z:
子供が生まれたとき、1週間ぐらい寝れなくなったんですよ。

睡眠が1日に1時間みたいな。

で、いつも身体を診てもらってる先生に相談したら、『子供が生まれる前は、いつ死んでもいいって思ってたやろ?』言われたんで、そうですねって答えると『子供が生まれたから生きなあかん、っていう強迫観念にとらわれてるから、テレビも電気もつけっぱなしで寝れ』って言われたんですよね。

それをやると、本当に眠れるようになったんですよ。

そこからは考え方が変わりました。

やり切ろうと。

やり切ってダメだったら、またそのときに考えようって思い直しました。

T:
俺も針の先生に、まるっきり同じようなことを言われました。

『将来や安定の話をし出すと、いきなり身体が硬くなりますね。そういうことに向いてないんだと思います』と。

そうなんだ...って思って、それからは考え方を変えました。

突っ走っていけるところまでいこうと。

いま思うと、先のことをムリヤリ見ようとする自分がいたのかなって思いますね。

Z:
自分もそうだったんですけど、逆に今はいい感じですよ。

TOSHI-LOW君もそうでしょ?

T:
ええ、子供がいて自分が助かってるところもあるし、強くなれましたね。

Z:
子供ができてはじめて、死ぬ気でやれるって思うようになったんですよ。

それまでも、いつでも死んでやるって言ってましたけど、どこか怖い部分もあったんですよね。

今は自分が死んで子供が助かるんだったら、いつでも死ぬ覚悟はできてます。

子供を持っている人しか分からないことですよね。

子供が生まれると、自分自身も次のステップに進めました。

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T:
震災があったときも家族がいたから、ふんばれたのかなっていう部分がありますね。

自分が茨城に向かったとき、すでに1号機が爆発しちゃってたんですよ。

常磐道が崩れ落ちちゃって、国道6号線が唯一通っててた道だったんですよね。

100kmぐらいの距離だったんですけど、緊急車両優先だから片道12時間かかかるって聞いてたんで、行きたくてもなかなか行けなかったんです。

で、友達の奥さんと子供がちょうど帰省してて、福島にいちばん近い北茨城市ってところにいたんですよ。

その友達は行ってくるって言っても、みんなに断られたみたいなんですよ。

たしかに、3号機か爆発する直前だったんで、その状態で行く人は少なかったと思います。

でも、自分も行かなきゃって思って、家族に行ってくるよって伝えると、嫁が沈黙の後に「行ってきな」そして子供が、『うん...』って言ってくれたんですよね。

それで行く決心ができました。

Z:
あの震災でミュージシャンの人たちも、行く人と逃げる人、2つに分かれましたよね。

自分は歌いに行くべきだと思うんですよ。

T:
アーティストは、夢や希望を与えられる恵まれた仕事だと思います。

震災直後に水戸にあるライブハウスLIGHT HOUSEの人と話をしてたんですけど、『半年先まですべてのライブをキャンセルされた』ってことだったんですよね。

地元の人間で繋いでいくから大丈夫って言ってましたけど、潰れるのが目に見えてるじゃないですか。

それで、震災の2週間後ぐらいでしたかね、LIGHTHOUSEでBRAHMANのライブをやったんですよ。

節電うんぬんとか、ボロカス言われましたけど、やっぱり歌うべきだと思うんですよね。

日曜日の昼間にやったんですけど、今までのライブって楽しみで来てくれてるお客さんばかりでしたけど、そのときは目の本気さが違ったというか。

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Z:
落ち込んでるときに自粛すると、もっと落ち込んじゃうでしょ。

祭りがあるほうが絶対に楽しいし、ライブもみんな観たいと思ってますよ。

T:
それに、楽しいだけが音楽じゃないと思うんですよ。

聴き方っていくらでもありますしね。

自分はおっかない先輩の演奏とかを聴きながら、勇気をもらったりしてましたね。

だから、音楽って不謹慎なものじゃないですよ。

やってる方は、不謹慎な人もいっぱいいますけどね、自分も含め(笑)。

Z:
BRAHMANの震災ライブの映像を観てると、すごいなって思いますよ。

自分はそこまでできてませんから。

そういうことができるのは素晴らしいと思います。

T:
バンドをやっててよかったと思いますね。

もちろん、震災がなかったに越したことがないですけど、試されました。

勉強させてもらったことが多かったです。

Z:
最近のバンドブームが再来した理由のひとつにハイスタの復活があると思うんですよ。

T:
そうですよね。

震災後に、テンションだけでハイスタ復活してくれ! って俺もよく言えたなって思います。

朝、難波章浩に電話して、やればいいじゃんみたいなことを言ったら、『俺だってやりたいわ!』
じゃあ、やれよ!って怒鳴り合いになっちゃったんですよ。

で、横山健にも言ったんですけど、『2012年はやるけど、今年(2011年)は無理だよ。ハイスタとして心の準備もできてないし』と。

その後、なんとなくインターネット見ていラジオを聴いてたら、難波章浩と横山健が二人で写メ取って震災に対してついて話てて、『GO JAPAN!』『がんばろう!日本』みたいなことを言ってて、それを見て聞いた俺はブチ切れたんですよ。

すぐに、口先だけで言いやがってテメーらよぉ! ボケが!って留守電に入れたんですよ。

すると横山健から電話かかってきて、彼はふだん温厚な方なんですけど、『お前、どこにいるんだ! コラァ!』ってキレまくりの状態で。

六本木だ! コラァ!みたいな(笑)。

すると、横山健が自宅から30分ぐらいかけて来てくれたんですよ。

わざわざ来てくれたのが嬉しかったですね。

あとは酔っぱらってたからあまり憶えてないんですけど、膝にすがりついて泣いちゃったのは憶えてます。

横山健に、あんたらのCD、自分で買ってもう一度、歌詞を読んでみて。

そのときに、自分がどうするか考えてみて。

CDを買ったファンは、震災後の暗い三陸で待ってるよ!

あんたらがとるべき行動を考えてくれよ!って言いながら号泣しちゃいました。

結局、朝の5時ぐらいに横山健が帰っちゃって、ああ...

やっぱダメだったな...って思ってたら二三日後翌日に横山健彼から電話がかかってきて、『やるよ』と。

Z:
アツい感じですね!

最後に、ニューアルバムが出たってことで、コメントをお願いします(笑)。

T:
それはね、今回いいですよ(笑)。

ZERO MAGAZINEの読者さんは、コアさというか、どこかスッとする部分を読みたいと思うんですよね。

そこがおもしろいなって感じるんですよ。

Z:
なんか、これしかできないんですよ。

昔ならでっかいことをやって、金を儲けてやろうって思ったんですけど、自分はそっちじゃないなと。

大金を手にするには魂を売らないとダメじゃないですか。

それは無理だし、自分のできる範囲で長くやっていこうと。

T:
いつ頃からそう思うようになったんですか?

Z:
やっぱり子供が生まれてからですね。

正直、自分が認めている人間になら、お願いしますって言えるけど、ワケの分からないおっさんに、お願いしますって言うのは嫌なんですよ。

結局、人は死んじゃうでしょ。

100億円持ってても、みんな平等に死をむかえるわけですからそれなら生活できる範囲のお金で暮らして、死ぬ間際に、俺、メッチャおもろかったわ。って言って死にたいです。

そのほうが幸せじゃないかなって思いますね。

あと、自分は何万人も呼べるイベントはできないなと。

自分がイベントを打つと友達もいっぱい来てくれるから、半分はその為にやってる部分がありますね。

おもしろい人たちも、怖い人たちも大集合して、みんないい感じで楽しんでくれるから、それをやり続けようって思います(笑)。

前回のBRAHMANの大阪ライブでは、中谷隊長のすごいお願いに応えていただいて(笑)。

T:
あれは隊長じゃなければ無理でした(笑)。

速攻でセットリストを書き直しましたね。

Z:
『やってくれたわ、アイツらヤバい!』って喜んでくれてましたよ。

T:
好きで言ってくれたのが嬉しかったですね!

中谷さんの音楽に対する愛情はすごいと思います。

すごくピュアな目線でみてくれてるんですよね。

愛する音楽のひとつに入れてくれたのが、嬉しいです。

Z:
自分もBRAHMANのライブをフルで観たのは久しぶりでしたね。

みんなそこそこの歳ですが...すごい! と思いました(笑)。

なかなかあそこまで動けないですよ。

T:
体を使うしかないので(笑)。

Z:
MCも熱かったです!

T:
MCはずっとしてこなかったんですけど、震災後にするようになったんですよね。

言わないで斜に構えてるのがかっこいいって思ってた時期もあったんですけど、実は自信がなかったというか。

いまは、はっきりと物事を伝えるようにしてよかったなって思ってます。

今後も言えることは言っていこうかなと。

それで敵を作っちゃったら、負けないように強くなればいい話ですもんね。

Z:
TOSHI-LOW君はそういう立場にいますから、言いたいことは言ったほうがいいですよ。

それに共感する人がいると思うし、元気をもらう人もいますよ。

逆に、そうじゃないって感じる人がいるかも知れないですけど、言わなければはじまりませんよね。
これからも頑張ってください、またライブにお邪魔しますね。

T:
いや?、今日は嬉しかったな。

なぜ、みんなが信頼する人間かっていうのがすごく分かりました。

ぜひ、またよろしくお願いします!

Z:
ありがとうございました!

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人の生きる道について終始した最終回!

バンドマンが家庭を持つことによって、さらにパワーアップすることを実証し、音楽が人に勇気を与えるツールであることを知らしめたTOSHI-LOW氏!

熱く、真っすぐ、ブレない、一種悟りのようなものが響きます!

BRAHMANは!

サウンド&パフォーマンスはもちろんのこと、饒舌なるMCを傾聴し、ライブというものの在り方を再認識させてくれるバンドです!

今後も大いなる期待を胸に、ZERO MAGAZINEも追いかけて参ります!

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ZEROMAGAZINEで現在発売中のCITY-INDIANのTシャツをTOSHI-LOW君に着用して頂きました!

通販でも販売しております!!!

こちらでご購入出来ますので宜しくお願い致します!

TOSHI-LOW其の三

13/09/18

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

BRAHMAN、TOSHI-LOW氏!

其の三!

今回は、怒濤のシークレットエピソードラッシュ!

裏も表もオープンマインド全開でお送りします!

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Z:
BRAHMANを結成したのはTOSHI-LOW君が何歳のときだったのですか?

T:
19歳ですね。

Z:
いまは何歳ですか?

T:
38歳になりますね。

結成19年目です。

Z:
すごい!

T:
こんなに長く続くとは思ってなかったんですよ。

Z:
バンドをやってる人ってだいたい25?26歳までで、第一回目の人生の分岐点が訪れますもんね。

T:
何にも考えないまま今に至ってますね。

こうやって続けられてるのはラッキーだと思います。

Z:
最初はインディーレーベルだったんですよね?

T:
Level9っていうレーベルでSLUMと同じ会社だったところってレーベルです。

Z:
FAR EAST HARDCOREを出したところですよね。

T:
そうです、そうです。

そこの元がNEWEST MODELやMESCALINE DRIVEがいたバルコニーっていうレコード会社レーベルでしたね。

で、CDをリリースした後、RUDE BONESの大川に『印税もらった?』って言われたんですよ。

それを聞いた俺は、印税って...何? と。

『CDが売れると印税がもらえるんだよ』と。

Z:
出ましたね(笑)。

昔のバンドは印税はレコードの現物支給だったらしいですよ。

T:
そうやって分からない子供を相手に商売するおじさんっているんですよね(笑)。

それでさっそく社長に、印税ってもらえるんですか? って聞くと、舌打ちされたんですよ。

『チッ...誰から聞いたんだよ...』って(笑)。

Z:
(爆笑)!!!

知らなければスルーしていたと!

怖いですね(笑)。

T:
いま舌打ちした!って、びっくりしましたよ(笑)。

2枚目はCOKEHEADのレーベルから出ました。

Z:
そういえばBRAHMANの人形を持ってましたよ。

T:
ソフビですか?

Z:
そうそう。

T:
本当ですか、うれしいですね。

Z:
メディコムの岡君にもらったんですよ。

なぜかBALLZACの人形と一緒に(笑)。

T:
TAKE-SHIT人形はもらってないですか?

Z:
TAKE-SHIT人形はもらってないですけど、その原型をやってるのが後輩なんですよ。

友達が!

BRAHMANの人形を、やたらとくれくれ言うからあげたら、ヤフオクで売られてました(笑)。

かなりの値段で売れたって言ってましたよ。

T:
そういう時代でしたね。

Z:
本当に好きでファンだからと思ってあげたのに、売ってるって(笑)。

T:
今はそういったフィギュア事情ってどういう感じなんですか?

Z:
SECRET BASEと一緒にやってるんですけど、最近ではデビルマンやマジンガーZとかですね。

限定で販売してるんですが売れてますよ。

T:
SECRET BASEのフィギュアって、コアなおもちゃ好きじゃなくても欲しくなるものがいっぱいありますよね。

Z:
COKEHEADのレーベルに移ってからは、ずっとそこからリリースしていたのですか?

T:
1枚目のアルバムはCOKEHEADも一緒にやってたイレブンサーティーエイトってところから出したんですよ。

COKEHEADもいたし、安心だなって思ってたんですけど、またレーベルと大モメしちゃいまして(笑)。

Z:
印税ですか?

T:
印税です(笑)。

ファーストアルバムは異例のヒットで、数十万枚っていう売れ行きだったんですよね。

それの印税の計算方式がおかしかったんですよ。

Z:
また?

TOSHI-LOW君、印税の計算法を学んでおいたほうがいいんじゃないですか(笑)。

T:
そうなんですよ(笑)。

基本的にズボラなんです。

それに人を信用して任せちゃうタイプなんですよね。

自分たちでも会社を立ち上げて、やり取りしてたんですけど、なんか計算がおかしくない? って話になって、レーベルに意見したんですよ。

すると逆に訴えられたんですよね。

Z:
ええー!!!

T:
最近まで裁判をやってました。

最高裁で僕らが勝訴したんですけど、なんかメチャクチャな感じですね。

裁判記録とかはインターネットで出てると思いますよ。

Z:
数十万枚だとエグい金額ですね。

お金でモメるのって嫌ですよね。

T:
そうですね。

正しいことを言ってても、気持ち悪いというか。

まあ、自分たちも悪かったんでしょうがないんですけど。

Z:
なんかお金のことを言ってるほうが間違ってるような錯覚になりますよね。

T:
そんなこともあって、メジャーに移籍しました。

そういう部分は、はっきりしてますからね。

あと、どこでもCDが買えたほうがいいんじゃないかってのもありましたし。

Z:
インディーだと販路が限られてきますもんね。

T:
自分達だけでやるっていう方法もあったんですけど、金の勘定が苦手だったんですよね(笑)。

まあ、そんなこんながあって、いい勉強をさせてもらったと思ってます。

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Z:
メジャーだと年にアルバムを何枚リリースして、みたいな制約が出てこないですか?

T:
それを最初に契約しなかったんですよ。

自分たちがやりたいようにやる、っていう条件付きだったんですよね。

ただ、あまりにも音源を出さないので、いまはリリース枚数の条件を付けられちゃってるんですけどね。

でも比較的おおらかな枠で見てくれてます。

Z:
年間アルバム1枚ぐらいですか?

T:
いえいえ、次のアルバムは5年ぶりのリリースです。

メジャーで5年ぶりってMETALLICAか? って話ですけど(笑)。

いいものをつくりたい、って思ったらなかなかできないですね。

Z:
降りてこないとできないですもんね。

T:
HARDCOREのバンドで10年やってて、7インチが2枚っていう人たちもいるじゃないですか。

それって間違ってないと思っちゃうんですよね。

Z:
ただ、ファンは待ってると思いますよ(笑)。

この間のBRAHMANのライブのとき、女友達に聞いたんですけど、ファンの女の子たちはトイレでTシャツを着替えてるらしいですね。

それにビックリしました(笑)。

T:
気合いを入れてくれてます。

Z:
それにしても、いまはCDを売るのがたいへんな時代ですね。

T:
CDに頼らないで、できるだけやっていこうと思ってます。

Z:
ライブは年間に何本ぐらいやってるんですか?

T:
どれぐらいでしょうね、あまり数えたことがないんですけど、活動は休止したことがないです。

Z:
今までで、印象に残ってるライブは?

T:
中国のライブで投石されたことがありましたね。

印象に残ってるというか、はじめて無心になりました。

最初、ガンガン石を投げられてすごかったですね。

Z:
石、ですよね(笑)。

メチャクチャ痛いじゃないですか。

T:
メッチャ痛いですよ(笑)。

Z:
投石されるきっかけがあったのですか?

T:
中国のフリーイベントだったんですけど、ちょうど自分たちが行く1ヶ月ぐらい前に、南京で日本人による集団売春みたいなのがあったんですよ。

日本の企業が300人ぐらい売春した、みたいな。

あと、中国の建国記念日で反日をすごく煽ってた時期でもあったんですよね。

もともとの教育的な部分もあったと思います。

いざ、ライブがはじまると、雨あられのような投石ですよ(笑)。

自分は真ん中に立ってますから大変でした。

Z:
攻撃が集中するじゃないですか。

T:
そうなんですよ。

どうやってもそれ投げれないだろ、っていう大きな石を引きずってくるヤツもステージから見えるんですよ。

あと、植木を抜いてきたヤツとか。

最初は飛んでくる石がバチバチ当たって、痛えな?って思ってたんですけど、やがて、生卵が飛んでくるんですよ。

それがボコンッ! って当たって割れた時になんか...

どうでもいいや!

って思っちゃって、よし! 歌おう! って開き直ったんですよね(笑)。

Z:
もうそれしかないですよね(笑)。

T:
無心でとにかく歌おうって思ったんですよ。

そこから夢中で9曲を歌いきったんですけど、パッて顔を上げると、会場から拍手が聞こえてきたんですよね。

あれ? 

これは何が起きたの? と。

会場に5000人ぐらいいたんですけど、出口がその奥にしかないんですよ。

もう腹をくくって、何かあったらダメだなって決心しました。

ライブが終わって楽屋へ戻ったら、人がグワーッて来たんですよ。

ああ、終わったな...

と思って、しかたないからせめて何人かはヤッてやろうって構えてたんですけど、『お前ら最高だった!!!』って言いにきてくれて。

Z:
おおっ!

伝わったんですね。

T:
音楽が言葉を超えるって、言うのは簡単ですけど、それを実行できたっていうのが感慨深かったです。

はじめていやらしい気持ちなしで、一所懸命になったのかなって思いましたね。

Z:
いつもは、いやらしい気持ちがあるのですか(笑)?

T:
やっぱり、若いときはあるじゃないですか。

COKEHEADの小松靖みたいな(笑)。

COKEHEADとツアーを回ってたときは、本当にフザけてたんですよ。

お金がなかったからタコ部屋に泊まってたんですけど、それが嫌だから小松と一緒にナンパしてました。

ヒドい時はCOKEHEADのライブ中にナンパしてましたよ。

『小松と打ち上げに行くけど、行かない?』みたいな。

最低でしたよ(笑)。

Z:
やっぱりそれで成功するんですか(笑)?

T:
イケた時代でしたね(笑)。

小松靖が絶大なる人気でしたから。

Z:
小松君って、いつも変な場所で会うんですよね。

一度、府中の免許センターで会いました。

『なんでいるの!?』って言われて、それはこっちのセリフだと(笑)。

COKEHEADはまたやってますね。

T:
あの人は変わらないですね、いい意味でも悪い意味でも。悪い意味が多いですけど(笑)。

でも、子供が生まれて変わったんじゃないですかね。

しかも女の子ですし。

Z:
女遊びをやってきた人は、女の子が生まれるらしいですよ。

みんなそれで我に返る、みたいな。

ウチも女の子です(笑)。

TOSHI-LOW君のところは?

T:
男2人なんですよ。

Z:
ナンパしまくてったのにおかしいですね(笑)。

T:
小松ほど遊ばなかったからですかね(笑)。

Z:
子供は何歳ですか?

T:
小学校1年生と、9ヶ月と、です。

ほんっっっとに、かわいいですね。

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印税問題に投石ライブ!

そして...ナンパ!

歯に衣を着せない物言いで、赤裸々に語るTOSHI-LOW氏!

次回最終回は、さらにリアルな話が続出で目が離せない内容です!

次回更新日は9月23日月曜日です!

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宜しくお願いします。

TOSHI-LOW其の二

13/09/09

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

BRAHMAN、TOSHI-LOW氏!

其の二!

BRAHMANの初期衝動!

BIKEとBANDの爆笑エピソードでお送りします!

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Z:
高校時代にやってたバンド名は?

T:
ジャンキンジャップ、みたいな変な名前でした(笑)。

今思うと恥ずかしいですよ(笑)。

Z:
若い頃にやりがちな感じですね(笑)。

TOSHI-LOW君はヴォーカルですか?

T:
ヴォーカルでした。

楽器が下手クソなんで(笑)。

ちょうどその頃、先輩たちが東京へよく行ってたんですよね。

それでLONDON NITEでかかってたレコードをチェックして水戸に持ち帰ってくれてたんですよ。

水戸でも自然とDJイベントのまねごとみたいなのがはじまって、音楽的にも盛り上がっていった感じですね。

で、東京スカンクスがやってくるわけですよ。

Z:
そうなんですね!

T:
そこでサイコビリーの洗礼も受けました。

Z:
自分もBILLYS WEEKENDERへ行ったことがありますよ。

かなり、怖かったです(笑)。

T:
大阪ってあまりサイコビリーがいないですよね。

Z:
そこで初めて見たんですよ。

たしか...

俊美君と遊ぶ約束をしてたんですけど、俊美君に用事ができてNIGARA君とホテイ君が迎えに来てくれたんですよね。

いきなり『行きましょー!俺らのイベントへ!』って言われて!

原チャリの後ろに乗せられて向かったのがBILLYS WEEKENDERで、パンチ合戦バシバシでした(笑)。

NIGARA君に自分だけ普通の格好で浮いてるけど大丈夫って聞いたら?

大丈夫!

俺たちが守りますからと。

あの2人はデカいですからね(笑)。

でも...

怖かったですよ(笑)。

サイコビリーは見た目も怖いですけど、独特の空気感があるでしょ?

T:
排他的な感じもあるし、ムチャクチャですよね。

でもそれがすごく好きなんですよ(笑)。

Z:
バンドをはじめたのは高校一年生のときですか?

T:
高一のはじめぐらいでしたね。

Z:
なぜバンドをやろうと思ったんですか?

T:
暴走族かバンドかっていう、カウンターカルチャーの選択肢でバンドを選んだんです。

当時は族もギリギリかっこいい時代だったんですけどね。

Z:
族は先輩、後輩の関係が厳しいですもんね。

バンドも縦社会ですけども。

T:
中学時代も上下関係が厳しすぎて、毎日殴られてましたよ。

縦のラインは別に嫌いじゃないんですけどね。

Z:
自分も中学生の頃、金を集めさせられてましたよ(笑)。

明日までに○○円を集めてこいて言われて、またや...みたいな(笑)。

そういえば佐野のアウトレットへたまに行くんですけど、北関東は旧車會の人たちが多いですね。

T:
かなり愛車にお金がかかってますよね。

Z:
ヴィンテージのバイクですからね。

T:
バイクを褒めるとメチャクチャくるんですよ(笑)。

ウチのKOHKIが4フォア乗ってるんですけど、バイクでレコーディングに来てて、後ろから機材車でついて帰ってたら、旧車會の人たち5人ぐらいがバッて来たんですよ。

うわ...

絡まれた、めんどくせ?って思ってたら!

ウチのチームに入ってくださいよ!ってKOHKIが言われてて(笑)。

俺、つるむの嫌いだからって断ってましたね。

Z:
(笑)!

4フォアはきちんと管理しないと盗まれますね。

T:
ガードレールに鍵で繋いでても、ガードレールごと引っこ抜かれますもんね。

Z:
ところで、BRAHMANは東京に出てきてからつくったバンドですか?

T:
そうなんですよ。

大学で東京に出てきて、最初はライブハウスに行ったり、CLUBに行ったりして遊んでましたね。

そうこうしているうちに、またバンドやりたいな?って思いはじめて、東京にいる地元のヤツらとバンドを組んだんですよ。

東京の友達ってまだあまりいなかったんですよね。

Z:
なるほど。

T:
で、ANTIKNOCKに出入りするようになって、そこでライブをやってたウチのドラムとベースに出会ったんですよね。

俺がバンドをやりたいって話すと『じゃあ、やろう!』って即決で、お互い同じ日に解散してバンドを組むようになったんですよ。

Z:
アツいですね!

それまでやってたTOSHI-LOW君のバンドはどういった音楽だったのですか?

T:
ミクスチャーに毛が生えたような、ちょっとSKAを入れたいな?的な、あの当時のつたない感じです。

Z:
当時はNEW YORK系が流行ってましたよね。

T:
流行ってましたね。

Z:
自分はずっとLONDONのHCを聴いてたから、NEW YORKってあまり聴いてこなかったんですよね。

服装もやっぱり違うんですよ。

鋲ジャンとか、ああいうファッショナブルなほうが好きだったので。

T:
はい、分かります。

Z:
初期のBRAHMANのギターは誰だったのですか?

T:
地元のツレだったんですけど、いま近くでパン屋をやってます。

最初期はベースも水戸の友達だったんですよね。

その友達は東大へ行ってて、なんかバンド名考えてよって頼んだんですよ。

NIRVANAみたいな、東洋のことなのに英語っぽいのないって聞いたら?

『BRAHMANARTMANってあるけど』って言われたんですよね。

Z:
間違いなくBRAHMANですよね(笑)。

T:
京王ARTMANっていうデパートがあるから、ARTMANはヤメようって話になって、BRAHMANを選択しました。

特に理由もないんですけど(笑)。

Z:
ところでNIRVANAといえば、自分はカートコバーンと同じ誕生日なんですよ。

T:
ワーオ(笑)。

でも...

NIRVANAそんなに好きじゃないんですよ(笑)。

Z:
自分も別に好きじゃないんですけど、嫁がコートニーラブと同じ誕生日というのも偶然で。

T:
それは...けっこう良いですね(笑)。

Z:
同じ誕生日の有名人話で、よくこのことを話すんですよ。

みんなは、夫婦ですごいな?! ってメチャクチャあがってくれるんですけど、この話を嫁にすると、
『最後は自殺やな』って(笑)。

T:
ヤバいですね、それは(笑)。

Z:
初期のBRAHMANはANTIKNOCKあたりで出てたのですか?

T:
いえいえ、最初は箸にも棒にもかからなかったで、全然でしたよ。

やさしくしてくれたのは、ジャパコアの若い人たちと、ノイズの人たちだったんですよね。

ノイズというか、なんていうんでしょうね、20000Vとかに出てるような。

Z:
KIRIHITOとか。

T:
そうそう、ゴッドマウンテン系の人たちですね。

他にも、道産子アナルや髑髏首とかもいたんですけど。

Z:
道産子アナル(笑)。

T:
そういった人たちが、おもしろがって呼んでくれたんですよ。

あと、D.S.B.やTHE GAIAとかも呼んでくれましたね。

BURNING SPIRITSもAIR JAMより先でした。

自分たち自身はANTIKNOCK的な感じと思ってたんですけど、AIR JAMがあってからはAIR JAM系って言われるようになって、あれ?...何これ?って違和感をおぼえました。

Z:
そういった方面に誘われるようになったきっかけって何ですか?

T:
COKEHEADが仲良くしてくれてたんですよね。

たしか大阪のRHYTHM & RHYMEかなんかの帰りに、ウチのドラムがCOKEHEADの車を追い抜くときに、逆立ちして車のハッチからチンポを出して追い抜いたんですよ。

それで『あんたらおもしろいね!』ってなって、仲良くなったんですよね(笑)。

Z:
そういえば昔、BRAHMANにライブで出てもらったとき、別のバンドがライブ中にドラムとベースの人が後ろで全裸になって側転をやってましたよ(笑)。

T:
メチャクチャでした(笑)。

Z:
はっきり憶えてるんですけど、その二人がライブを観てて『もう?っ我慢できねぇ?!』って全裸になって、側転をクロスさせてました。

演奏してたバンドが終わったあとに『お前ら、何やってんだよ!』って怒られてましたよ(笑)。

だから自分のBRAHMANの印象は、全裸だったんですよ。

T:
間違ってないですね(笑)。

最初の数年は、ウチのドラムはずっとすっぽんぽんで演奏してました。

よく次のバンドの人に怒られてましたよ。

汚ねえ!って(笑)。

バンドがこんなに長く続くとは思ってなかったんで、単純にインパクトがあればいいやって考え方だったと思います。

Old_4.jpeg

エネルギーが爆発!

破天荒に全裸で転がるBRAHMAN!

感情をダイレクトに表現するBRAHMANの音像の本質が見られました!

次回は...

ZERO MAGAZINE真骨頂の、知られざるバンド裏話の連打!

見逃せません!!!

次回更新日は9月16日月曜日です!

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上記のプレイガイドでお買い求め下さい!

宜しくお願いします。

TOSHI-LOW其の一

13/09/05

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

今回のお相手は??

お待たせいたしました!

BRAHMAN! TOSHI-LOW氏が見参です!

泣きと笑い満載の人情物語でお送りします!

さてまずは...TOSHI-LOW氏が逆インタヴュー!?

Old_1.jpeg

ZERO MAGAZINE(以下Z):
今回はBRAHMANのTOSHI-LOW君の所にきました。

TOSHI-LOW氏(以下T):
よろしくお願いします!

まさか、レジェンドがこの目の前にいるとは(笑)。

Z:
いえいえいえ(笑)!

昨年の12月は関西のライブでお世話になりました。

T:
こちらこそ本当に楽しかったです。

Z:
大阪はどんなイメージがありますか?

T:
大阪は...

そうですね、怖いイメージがありますね(笑)。

Z:
そんなことないですよ(笑)。

T:
昔、日本刀らしきものを持って歩いてる人とかよく見ましたよ。

ふつうに怖いです(笑)。

Z:
危ない人は沢山いますね。

自分はそういう所へ行きたくないですから(笑)。

T:
何を言ってるんですか、真ん中にいらっしゃったでしょ(笑)?

Z:
いやいや、端っこのほうですよ(笑)。

自分の友達が真ん中にいただけの話です。

T:
皆さんはZERO MAGAZINEをどんな角度で読んでらっしゃるか分からないですけど、ど真ん中ですよ。

Z:
一般の人も、業界人も、いろんな方が読んでくれてます。

なぜZERO MAGAZINEをはじめたかというと、もう雑誌に頼りたくないっていう部分があったんですよ。

雑誌って、いい時はすり寄ってきて持ち上げてくれますけど、ちょっとでもダメになるとスッと離れていくでしょ。

すべて向こう側の主導なんですよ。

自分的には、まだまだ頑張ってるのに! って思っても、もうダメなんですよね。

そんなことを考えていると、紙媒体よりWEBだなって思ったんですよ。

で!

友達に話してみると、『なかなかインタビューできないような友達がいっぱいいるでしょ? そういう人たちのインタビューをやれば? 』って言ってくれたんですよね。

そんな流れで記念すべき第一回目のインタビューを渡辺俊美君でやったんですけど、SOUL SETの元メンバーのDRAGON君からたいへんお叱りのメールがきました(笑)。

T:
なぜですか?

Z:
"なぜDRAGONさんはクビになったのですか?"って聞いたんですよ。

すると俊美君が、『○○○だからクビにした』って言ったんですよ(笑)。

T:
それがそのまま載ったんですか?

Z:
これはちょっとどうかな...

て思って、俊美君に、自分もDRAGONと友達だし、これってどうですかね?...って聞いたら『記念すべき第一回目だから、これぐらい載せなきゃね!』と(笑)。

T:
ヤバいですね、それは(笑)。

Z:
掲載した当時は何もなかったんですけど、それから半年後ぐらいかな?

一通のメールが届いたわけです。

"DRAGONだけど、この記事を作ったの誰なんだ! この野郎!"みたいな内容で、これはかなり怒ってるなと。

そりゃ怒りますよね(笑)。

すぐに俊美君に電話をして、DRAGONからこんなメールがきたんだけど、どうしますか? って聞くと『問題ねーよ! 放っておけばいーよ!』って返答だったんですけど、メールを送ってきてるのに放っておくのは無理だと思ったんで、BIKKEにDRAGONの電話番号を聞いて、さっそく電話したんですよね。

最初に、もしもしって言ったら『お前、誰だよ!』っていきなり言われたんで、名乗ると『おおー! 久しぶりだね!何何?』と。

昨日メールをもらってたんだけどって話すと『まさか...アレって...そうなの??』って展開になって(笑)。

とりあえず謝罪に伺って。

あの記事を削除しましょうか? って聞くと、『ぜんぜん大丈夫!』って話になって、その流れでDRAGON君にもインタビューすることになったんですよね。

T:
へぇ?、そんな経緯があったんですね。

Z:
早速!

俊美君にDRAGON君をインタビューすることになったと伝えると、『俺のことボロクソ言ってもいいから! って言っといてね』って(笑)。

T:
この一連のエピソードは絶対に載せてください(笑)。

Z:
発信する立場なので、そういった部分には気をつかってますね。

あと、アーティストのインタビューに関して、新しいアルバムを出ましたっていうのは、いろんなところで取材を受けるじゃないですか。

T:
ほとんどそうですね。

Z:
自分は過去のことを知りたいんですよね。

なかなかインタビューを受けない人って、おもしろいエピソードがいっぱいあるのに、それが世の中に出ないんですよ。

子供の頃はこういう育ちかたをしました、ってだけでもすごく興味深いと思うんですよね。

音楽のジャンルに限らずHARDCOREな人たちをインタビューしています。

自分からすればEGO-WRAPPIN'もHARDCOREなのです。

T:
僕自分も選ばれて光栄ですよ。

Z:
ようやくTOSHI-LOW君にインタビューさせていただけることになりました。

T:
昨年やらせていただきましたライブは本当におもしろかったですね。

リアルに触れることができたっていうか、怖い怖いと思ってた方々ともいっぱい喋れるようになったりして(笑)。

そういうのがすごく嬉しかったです。

Z:
っていうか、TOSHI-LOW君のインタビューですから、もっとこちらから聞かないと(笑)。

T:
僕がインタビュアーになりたいですよ(笑)。

Z:
それでは、前置きが長くなりましたがインタビューさせていただきます(笑)。

出身はどこですか?

T:
茨城の水戸で、暴走族だらけの土地です。

ロケットカウルってあるじゃないですか、一個でもすごいんですけど茨城はバカなので(笑)、一個ですごいんなら二個だともっとすごいって発想で二段積みになるわけですよ。

Z:
なるほど(笑)。

T:
二段積みになるとすごい高さなんで、お正月なんかは高架下にロケットカウルがいっぱい落ちてますよ。

橋にガンッて当たって落ちちゃうんですよね。

Z:
TOSHI-LOW君は暴走族だったのですか?

T:
僕は暴走族じゃなかったですよ。

暴走族をやろうか迷ってはいたんですけど、ちょうどバンドブームの時代で、同じ不良だったらバンドのほうがカッコイイなって思ったんですよね。

で、今に至ります。

Z:
良かったですね(笑)。

T:
ただ、当時は暴走族をやってから、バンドマンになるっていうパターンが多かったです。

族をやりながらギターの速弾きができる先輩がいて、ちょうどその先輩の二段ロケットカウルの写真がありますね。

え?と...これです。

Z:
ヤバ(爆笑)!

ちょっと待ってください、これ...高過ぎますよ!

マンションの二階ぐらいの高さですね。

前もすごいけど、後ろもすごい!

T:
まさにチャンプロードの世界ですね(笑)。

Z:
TOSHI-LOW君は族に誘われなかったのですか?

T:
声がかかったりもしたんですけど、徐々にバンドのほうへ流れていったので。

隣り町の中学校だと完全に暴走族になってたと思うんですけど、自分の中学校はムリヤリ引きずり込む先輩がいなかったのが幸いでしたね(笑)。

Z:
バンドは何歳ぐらいからはじめたのですか?

T:
茨城にLIGHT HOUSEっていうライブハウスがあって、当時は20帖ぐらいのバンドスタジオだったんですよね。

ちょうど15歳の頃にバンドをはじめたんですけど、勝手にスタジオでライブをやってたんですよ。

Z:
お客さんを入れて?

T:
そうです。

Z:
ダメじゃないですか(笑)。

T:
はい!

オーナーに、『お前ら二度と来るな!!!』って、めちゃくちゃ怒られました(笑)。

怒られたんですけど、その後にLIGHT HOUSEは練習スタジオからライブハウスに変わったんですよ。

町でいちばん最初にできたライブハウスでしたね。

ライブハウスになってからは、そこで寝泊まりしながらずっと遊んでました。

Z:
その頃はコピーですか?

T:
THE JAMとか、初期PUNKのコピーでしたね。

同級生もPUNKSが多かったんですよ。

駅前にBABA COOLっていうMODSのお店があったんですけど、そこはミラーをいっぱい付けたVESPAがたむろしてました。

さらに、その近くにユニーっていうスーパーがあって、そこはスケーターの溜まり場だったんですよね。

Z:
HOTですね(笑)。

T:
それらを5つぐらいの暴走族が取り囲んでる、みたいな町でした。
漫画みたいでしたよ(笑)。

その頃、僕はツンツンの金髪だったんで、歩いてたらオイ! ってスケーターに追っかけられたりしてましたね。

だからそういうので強くなりましたよ。

Z:
千葉の柏もそういうノリみたいですね。

T :
常磐沿線の地域は似てるかも知れないですね。

Old_2.jpeg

暴走族 or バンド!

カウンターカルチャーの分岐路に立ったTOSHI-LOW氏は音楽をチョイス!

次回は高校バンド時代から!

BRAHMAN結成エピソードまで猛進するティーンエイジライフをお送りします!

次回更新日は9月9日月曜日です!

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TAKESHI HOSOYA其の四

13/09/01

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

PEEL&LIFT細谷氏、いよいよ最終回!

焼き肉屋で働くかたわら、ふつふつと煮詰めてきたブランド、

PEEL&LIFT!!!

その発足の知られざるエピソードをお送りします!

DSC00551.JPG

Z:
焼き肉屋をヤメて、ブランド1本でやっていくようになったきっかけって何だったのですか?

H:
昔に作ってた商品の在庫が家にダンボールで何個かあって、もうこれいらないよねって嫁と話してたんですよ。

『じゃあ私がヤフオクで売る』って、嫁がネットで売りはじめたんですよね。

同じYAHOO IDで同じアイテムをずっと出品してたら、見ている人たちがだんだん気づきはじめたんですよ。

入札するのも同じ人ばかりで『新作は、ないですか?』と、何人かに聞かれるようになったきたんですよね。

これって何かできるんじゃないの? って嫁が言いはじめたんですけど、蓄えもなかったから、バンバン新作を出せるわけでもなかったんで、副業程度にリストバンドとかを作っていったんですよね。

それがちょうど2年前ぐらいです。

Z:
なるほど。

H:
同じタイミングで、レバ刺しを食べた人が食中毒で亡くなった事件が報道されて、焼き肉屋に人が来なくなっちゃったんですよ。

さらに、そういう食中毒事件が立て続けに起こって、焼き肉屋がバタバタ閉店していったんですよね。

働いていた焼き肉屋も規模を縮小するって話になりました。

で、そこの本社が九州なんですけど、九州へ行ってくれって急に言われたんですよね。

Z:
ええ!?

いきなりですか(笑)。

働いてた店舗はどこだったのですか?

H:
新橋でした。

九州行けって言われても、僕の人生設計にそれは入ってなかった(笑)。

そんなこともあって、とりあえず社員は辞めます、と。

で、バイトに切り替えてくれって頼んだんですよ。

Z:
焼き肉屋では社員だったんですね。

H:
そうだったんですよ。

バイトに変えてもらえれば、社員でいたときよりも時間ができるし、洋服のことに時間を費やせると思ったんですよね。

そんなこんなで準備してたら、結局、その焼き肉屋も閉店することになっちゃって...。

必然的にPEEL&LIFT1本でやっていかねばならない状況になった感じです。

Z:
なるほど、そうだったんですね。

H:
ヤフオクで買ってくれてたお客さんは、いまでも通販で注文してくれてて、毎アイテムほとんど買ってくれてる人も何人かいるんですよ。

全国の10人ぐらいのマニアの方に、生活を支えてもらってます(笑)。


Z:
そういう人たちは、心強いですね!

H:
そのお客さんたちも、30代、40代ぐらだから、そうそう趣味を変えることってもうないじゃないですか(笑)。

そういった人たちに刺さる物を出していければ心強いですよ。

思えば、あのときに九州に行ってたら、いまの自分はなかったですね。

同僚で九州行きを決めたヤツがいたんですけど、仕事以外はやることがなくて、1年ぐらいで帰ってきてましたね。

Z:
PEEL&LIFTは何から作りはじめたのですか?

H:
リストバンドからはじまって、Tシャツ、ボトムなどを作っていきましたね。

そんなとき、以前から付き合いのあった名古屋のお店のオーナーから、『今度、周年だから記念アイテムを作ってくれ』って言われたんですよ。

そのオーナーとは長い付き合いで、名古屋でいた頃にもアナーキーシャツを50枚作ってくれって言われたことがあったんですよね。

PEEL&LIFTができるもっと前の話ですけど。

Z:
50枚!

一人で作ったのですか?

H:
はい!実家でひとりで作りました(笑)。

たまに後輩に手伝いに来てもらったりもしてましたけど。

で、去年の夏に、そのお店が30周年だからアナーキーシャツを30枚作ってくれってことで作成したんです。

それを藤原ヒロシ君が取り上げてくれたりして、瞬く間に火がついたんですよ。

ウチもウチも、って感じで注文が殺到しました。

とはいえ、月に30枚が限界でしたね。

一人で家でやってると30枚広げるのも無理なくらいなんで(笑)。

Z:
大変な作業ですね(笑)。

H:
いまは、最初作ったときよりも資料が多くなってるし、洋服を作るスキルも上がってるから、より本物に近いものが作れますね。

それプラスα、ひと手間加えることもできるので、それが評価に繋がったと思ってます。

Z:
そう考えると、ある意味、焼き肉屋がなくなってよかったですね(笑)。

H:
そうなんですよ(笑)。

自分ところのアレで恐縮ですけど、嫁があげまんというか、いい方向に導いてくれるんですよね。

たぶん、嫁と出会ってなかったらまだ焼き肉屋で働いてます(笑)。

Z:
(笑)!

H:
ブランドをはじめるときも、蓄えがないよって話したら『私の貯金から出すよ』って、貯金を切り崩してくれたんですよね。

Z:
シブいですね!

H:
革と鋲もパパッと注文してくれて。

じゃあこのまま、お前が代表でやっていってくれってことで嫁を代表にして、僕は社員です(笑)。

Z:
すごい話ですね。

ふつうは貯金を崩してまで出してくれないですよ。

H:
嫁は腹をくくったら何でもできる人間なのか、本人もブランドの為に時間が取れるように、勤めてた会社を辞めて、知り合いの紹介してくれたバイトに切り替えたんですよ。

Z:
むちゃくちゃ気合い入ってますね。

H:
嫁の勤めてた会社がWEBのシステムを作る会社で、辞めてはじめたバイト先もその関連会社だったんですよね。

そんな繋がりでウチのホームページのカートシステムの構築なんかも、すべて格安でやってくれたんですよ。

とにかく嫁といると、物事がいい方向に流れていくんですよね。

Z:
アツいですね。

H:
だから嫁と出会ってから、ほんとおもしろいです。

2ヶ月同じ状態だったことがない。

何かしら起きてる感じですね。

Z:
いい奥さんに出会いましたね。

H:
ええ、ほんとそうです(笑)。

Z:
お仕事は順調ですか?

H:
まあ、いまのところは順調ですね。

高望みというか無理はしないようにしてるんで、とりあえず、いただいた話をやっていくって感じです。

Z:
そうなんですね。

それでは、今後の展望を聞かせてもらっていいですか?

H:
今年は、LONDONに商品を置けたらいいなって思ってます。

商売になる、ならないは別として、むこうはコレクターがいっぱいいるから、そういった人たちにアピールしたいんですよね。

あとは、考えてるエキシビションのツアーを形にして、おもしろく広がっていけばいいかな、と。

結局、規模が小さいし、蓄えもないんで、ゲリラ的にできることをやっていくしかないんですよ(笑)。

Z:
PUNKですね(笑)。

H:
思いついたことをやるしかないっていう。

Z:
そういえば、大阪に住んでたことがあったんですよね?

H:
都島と天六に住んでました。

Z:
なぜ大阪で住んでたのですか?

H:
大工の関係で大阪に住んでたんですよね。

親父の元で働く前に、丁稚じゃないですけど他の現場に出されたんですよ。

大阪の知り合いの大工さんのところで3年間、勤めました。

ちょうどバブルの終わり頃でしたね。

Z:
大阪の現場は厳しかったですか?

H:
ふつうの大工の現場って、年配の親方がいてその下で働くっていう感じですけど、大阪の現場は職業訓練校も兼ねてたんで、高校を卒業してすぐに来る人が多くて、学校の延長線上みたいな感じでしたね。

年の近い人たちがいっぱいいたんですよ。

みんなは高校を出てすぐそこに入ってましたけど、僕は専門学校を卒業してからだったんですよね。

だから同級生がみんな年下なんですよ。

それに加えて、名古屋の知り合いの紹介で来てるっていうのを周知してたから、腫れ物にさわるような扱いをされてました(笑)。

Z:
なるほど(笑)。

H:
大阪に住んでたのは、かれこれ20数年前ですね。

Z:
その頃の大阪のイメージはどんな感じでした?

H:
レコードを買ってた記憶しかないですね(笑)。

ひたすらミナミでレコード屋巡り。

Z:
レコードはどこで買ってました?

H:
ちょうどTIME BOMBができた頃だったのかな。

あとはWOOD STOCKやFOREVERにもよく行ってましたね。

Z:
FOREVERは、針中野のお店にも行きました?

H:
え?っと、梅田と難波は行ったことがあったんですけど、針中野は行ったことがなかったですね。

あと、大阪にいながら名古屋のイベントのオーガナイザーをずっとやってました。

LONDON NITEや、ジョニオ、NIGOといった東京系のイベントは、僕がブッキングやってました。

Z:
なるほど、そうだったんですね。

それでは最後に、大阪のお客さんに一言お願いできますか?

H:
今後とも末永くお願いします。

Z:
どうもありがとうございました!


PUNKがもつ突発的な衝動に、あえて丹念な計画と精緻な技で挑む!

PEEL&LIFTは、PUNKファン特有の絶対本物志向を具現化する無二のブランドです!

ファッションが細分化した現代、ウンチクで語られるかっこよさは、ひとつの指標となるでしょう!

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今後も随時、PEEL&LIFT情報をお送りして参りますので、どうぞチェックしてください!

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TAKESHI HOSOYA其の三

13/06/11

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

PEEL&LIFT細谷氏、其の三!

再びPUNKアイテムコレクター話を交えながら、

強烈にストイックな!

執念のSIDベルト作りエピソードをお送りします!

今回も目が離せません!!!

fig11.jpg

Z:
最近、往年のPUNKファッションのブームがまたきてますよね?

H:
初期のVIVIENNEなんかは、オークションやeBayを見ててもかなり高いですね。

Z:
僕も23歳ぐらいのときに、いま売っておかないと、値崩れ起こすかも知れないと思って手放しましたよ。

HARRIS TWEED&デニムのヤツとか、けっこう持ってたんですけどね。

H:
SEDITIONARIESに関していうと、買ったときの値段を割るっていうのはまずないですね。

Z:
WORLDS ENDは比較的安くなるのに、SEDITIONARIESはどうして値崩れしないんでしょうね。

H:
WORLDS ENDは一時、ヤフオクで捨て値で売られてて、これが2万円で買えるの? ってのがゴロゴロあったんですよね。

目ざとい人はヤフオクで仕入れて、eBayで売ったりしてましたよ。

Z:
WORLDS ENDって海外では高値で売られてるのですか?

H:
その時は、JOHN GALLIANOとかがWORLDS ENDをわざと着たりしてて、値段がちょっと上がってたんですよね。

Z:
そうだったんですね?。

青山で働きはじめたのは何歳の頃ですか?

H:
29歳でした。

Z:
働いてみてどうでした?

H:
単純に楽しかったですね。

いい加減な年齢で上京してきたけど、東京にはたくさん友達がいたのでよかったです。

毎日、好きなことだけをやってる感じでしたよ。

Z:
東京で働きはじめてからも、SEDITIONARIESとか買い続けてました?

H:
ひたすら買ってましたね。

UNDER COVERの頃はボーナスが出たら、ほとんどをそっちにつぎ込んでました。

ちょうどeBayにハマったんですよね。

当時のeBayは今みたいに商売として利用してる日本人があまりいなくて、マニアだけの世界って感じだったんですよ。

Z:
コレクションは何点ぐらい持ってるのですか?

H:
もう洋服は、ほぼないですね。

残ってる物はUNDER COVERの事務所でまとめてディスプレイしています。

だから手元にないんですよ。

所有者は僕なんですけど、ディスプレイとして収納されてるんで、自由に出し入れできない状況ですね(笑)。

Z:
なるほど、捕獲されてるわけですね(笑)。

H:
紙物系のコレクションなんかはまだ手元にあるんですけどね。

Z:
ところで、PEEL&LIFTは、なぜはじめようと思ったのですか?

H:
UNDER COVERで働いていた頃は、原宿の店員がブランドを立ち上げました! っていうのが、超かっこ悪いと思ってたんですよ。

というのも、物を作る側と消費する側は、絶対に線を引かれるというか、別の人種だと考えてたんで、僕は消費する側でいいやと割り切ってたんですよね。

そういった考えがあったんですけど、ある日、ふと思い立ってSID VICIOUSのスタッズベルトを作ってみようと思ったんですよ。

いまも定番でたまに出してるんですけど、どうしても見つからなかったヴィンテージの鋲を復刻で一から作って。

Z:
それは、めちゃくちゃコストがかかりますね。

H:
そこはブランドをやってる友達が援助してくれたんですよ。

僕がバックアップするって形で作りました。

Z:
その鋲はどこで作ったのですか?

H:
鋲を探して、イギリスのスタッズ屋やアメリカの業者に問い合わせたり、いろんな国へバイイングに行ってる知り合い何人かに声をかけたりしました。

WENDY'Sの工房の端っこに、目当ての鋲が2?3個転がってたんですけど、そんな数じゃとても作れないしな...

と思って、自分で型を起こして作ったんですよね。

余談ですけど、僕がそうやって全世界に発信して探しまくってたのもあって、いまはWENDY'Sでその鋲を作ってるんですよ。

日本人が探してるから商売になるかも知れないって考えたんでしょうね(笑)。

Z:
鋲は日本で作ったのですか?

H:
そうですね、浅草メイドです。

作り方はいまも同じ作業をやってるんですけど、SIDの写真のベルトをノギスで測って、他の身に付けている物の長さと比較して、計算で割り出して長さをはじき出すんですよ。

Z:
数学の世界ですね(笑)。

H:
建築の仕事をやってただけあって、図面を引くのは得意ですからね(笑)。

後にWENDY'Sが作った鋲と、自分が写真集から割り出して作った物の寸法を比べたら、コンマ数ミリしか違わなかったです。

Z:
それはすごいですね!

H:
我ながらいい読みをしたって思いますよ(笑)。

あのベルトは、もともとJOHNNY ROTTENが付けてて、それをSIDに譲ったみたいですね。

作りはじめた初期の頃は、SIDの不鮮明なモノクロ写真しかないような時代だったんですよね。

でも最近になってインターネットが発達してくると、いろんな写真が発見されるじゃないですか。

それでさらに調べ進めてると、ベルトの剣先の形が違うってことに気付いて、新たに改良したバージョンを作りました。

Z:
完成形ができあがったと。

H:
ほぼ完璧に近い物が出来上がりましたね。

Z:
すごい執念ですね。

H:
SIDのベルトのバックルに関しても、昔に中学生がしてたような、ああいうバックルって、もう作ってないんですよ。

型は残ってたんですけど、生産されてなかったんですよね。

それも復刻して作ってもらいました。

Z:
そういうバックルって、少量でも作ってもらえるのですか?

H:
ええ、作ってくれますよ。

型を起こすっていうよりも、手曲げっていうか、手作業でやるんですよね。

そんな感じで、他にもいろいろ作りたいなっていう気持ちが強くなってきた感じです。

ちょうど同じタイミングで働いてたところのスタッフの人数が増えたりして雇用形態が変わるって話がでて、他にも思うところが色々あったんですが、悩んだ末に辞めることにしました。

Z:
結局、何年働いたのですか?

H:
6年ですね。

Z:
けっこう長かったんですね。

退社したあと、すぐにブランドを立ち上げたのですか?

H:
そうですね。

半年ほどかけて準備をして、友達に協力してもらって展示会を開きました。

UNDER COVERのときは店に立ってたんで、卸先のオーナーさんとも面識があったんですよね。
ブランドを立ち上げたんで、取り扱ってもらえませんか? と、話を持ちかけたら、けっこういい感じで食いついてくれたんですよ。

青田買いじゃないですけど、立ち上げ直後からオーダーをいただきました。

なんとか展示会で2期目まではこなしたんですけど、その後は傾きはじめて、だんだん資金が回らなくなっていったんですよ。

で、先輩で紹介してもらった焼き肉屋で働きながら、細々とブランドを続ける生活になりました。

Z:
それは何歳ぐらいのときですか?

H:
38歳ぐらいから焼き肉屋で働きはじめて4年ぐらい、一昨年の夏まで働いてましたよ。

結局、焼き肉屋の拘束時間が長すぎて、洋服を作る暇なんてないに等しい状況でしたね。

だからしばらくは焼き肉屋1本の生活が続いてました。

Z:
そこでは肉を切ってたのですか?

H:
そうですね。

ちょっと変わった焼き肉屋で、寿司屋みたいなカウンターがあって、お客さんの目の前で肉を切ってカウンター越しに出す、っていうお店でした。

カウンターに立って肉を切ってましたよ。

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ZEROMAGAZINEのSHOP『 CHOICE 』ではPEEL&LIFTの別注商品を販売しています!

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特別捜査官も顔負けの解析能力で作り上げられたSIDベルト!

その緻密なプロダクトは、世界中を見ても例をみない職人技です!

UNDER COVERから一転、包丁を握りはじめた細谷氏の次なる施策は?

次回はいよいよ最終回、ズバリPEEL&LIFT話です!

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

PEEL&LIFT細谷氏、いよいよ最終回!

焼き肉屋で働くかたわら、ふつふつと煮詰めてきたブランド、

PEEL&LIFT!!!

TAKESHI HOSOYA其の二

13/05/16

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

PEEL&LIFT細谷氏、其の二!

LONDON PUNKファン必読!

SEDITIONARIES、WORLDS END etc...

コレクター話も盛りだくさんでお届けいたします!

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H:
まあ、大工は家業だし、長男だったというのもあって継ぐもんだと思ってました。

お店をクローズさせたあとは、しばらくアパレルのことを何もやってなかったですね。

その頃は、大工しながら好きな服が着られればいいな、ぐらいに思ってました。

で、ある日、東京へ行ったときにUNDER COVERのSHOWを観に行ったり、知り合いのブランドの展示会を覗いたりして遊んでたんですよ。

するとUNDER COVERから、『今度、青山にメンズのショップを立ち上げるんだけど、そこで店長をやらないか?』っていう誘いを受けたんですよね。

いや、俺、大工なんだけど...みたいな(笑)。

Z:
現場がありますもんね(笑)。

H:
展示会の打ち上げで...
飲みながらの話だったんで軽く流してたんですけど、その1週間後ぐらいに電話がかかってきて、『どう? 店長の件、決断してくれた?』って言われて、ああ! あれ本気だったんだ!と(笑)。

Z:
お酒の席だけの話だと思ってたのが、相手は本気だったと(笑)。

それでどうしたのですか?

H:
OKしたからいま東京にいるわけなんですけどもね(笑)。

いきなり目の前においしいエサが降りてきたんで、やっぱりいろんな事が頭をよぎりましたよ。

もう腹は決まってたんで、あとは親父にどう切り出すか? っていうのが問題でした。

Z:
お父さんからすれば息子が10年も大工を続けてたら、とうぜん家業を継いでくれるものと思ってますもんね。

H:
もちろん、そのつもりで大工をやってたんですけども、親父は去る者を追わない人間なんで、勘当じゃないですけど、後は面倒みないから好きにやれって感じでしたね。

Z:
兄弟はいますか?

H:
弟と妹がいるんで、家業は弟が継いでいます。

僕がいたことによって、弟は宙ぶらりんな状況だったから、大工をヤメたことで上手く繋げることができたんですよね。

そんなこんなを経て、土曜日までヘルメット被ってた人間が翌週の月曜日には、お店に立って、いらっしゃいませ! と、変身しました(笑)。

Z:
(笑)!!!

H:
買い物に来てるお客さんは、僕がまさか先週まで地下足袋を履いていたなんて思わなかったでしょうね(笑)。

Z:
オープニングスタッフとして入ってたのですか?

H:
オープンの準備に2ヶ月ほどあって、その間は研修でレディースのショップで立ってましたね。

立ち上げるお店は新規のスタッフばっかりだったんで、開店準備はお前がやってくれと、いきなり振られたんですよね。

業者の電話番号だけもらったんですけど、必要なものはそこから仕入れろと。

Z:
むちゃくちゃですね(笑)。

H:
わけも分からず業者にレジを発注したりでたいへんでしたよ。

その青山の店は、2階建てでAPEとUNDER COVERのお店だったんですけど、UNDER COVERの店長として働くようになりました。

もう14年前のことですね。

Z:
名古屋でお店の経験があったから、まだよかったですね。

H:
とはいっても、名古屋のお店では僕が販売員やってたわけじゃなかったですからね。

Z:
そうでした、バイトに任せてたわけですもんね。

名古屋のお店時代で、なにかエピソードありますか?

H:
そういえば、すごくマニアックな問い合わせを受けたことがありましたね。

WORLDS ENDの○○のときのジャケットで、○色の○サイズじゃないと嫌だ!みたいな、いつも細かい指定でオーダーをくれるお客さんがいたんですよ。

その人とは電話で数回話しただけだったんですよね。

それから10年後ぐらいかな、再びSEDITIONARIESを集めだしたときに、コレクターを探して人づてにたどってたんですよ。

で、あるコレクターと電話で繋がって、はじめましてと挨拶したときに、『僕、細谷さんと話したことありますよ』って言われて、ああ! あのときの人だ!、と。

その人はROBOTにいた田中さんのコレクションをすべて買い取った人で、スペシャルなアイテムをいっぱい持ってたんですよ。

10年越しの電話での再会でしたね。

Z:
どこの人だったんですか?

H:
福島の人でしたね。

Z:
相手もびっくりしたでしょうね(笑)。

H:
最初は田中さんに電話して、集めてたコレクションはどうされました? って聞いたら、福島の人に売ったってことで繋がったんですよね。

Z:
細谷君が買った洋服のなかで、いちばん高価だったのは何ですか?

H:
もう手放しちゃいましたけど、HARRIS TWEEDのボンデージスーツっていうのがあって、それを21歳のときに65万円で買いました(笑)。

Z:
高っっっ(笑)!!!

H:
最近、それを友人のコレクターに譲ってくれって頼まれて、手放しましたね。

Z:
それにしても、65万円ってすごいですね。

H:
一点モノだったんで、買えるときに買っとかなきゃって思ったんですよね。

Z:
当時のコレクターは、そうでしたね。

洋服にはかなりお金をつっ込みました?

H:
けっこうつぎ込みましたよ。

お店をやってたときの借り入れを返すのがたいへんでした(笑)。

Z:
名古屋でやってたお店は、どうしてヤメたのですか?

H:
LONDONのアウトレットで買い付けた商品を売ったりもしてたんですけど、取り扱うアイテムがマニアックすぎて、それだけじゃ回らなくなったんですよね。

人件費も払わなきゃならなかったし。

Z:
ちょっと早すぎたんですね。

H:
そのときの在庫は、欲しいっていう古着屋さんに二束三文で売り捌きました。

その後にブームがドカーン! っていう(笑)。

当時出てたVIVIENNEの本で、原宿某ショップのスペシャルなWORLDS ENDの商品、みたいな感じで掲載されてたですけど、これ、ウチから流れた商品だ! ってことも多々ありましたよ(笑)。

Z:
ブランドってタイミングによって、まったく変わりますもんね。

H:
ほんとそうなんですよね。

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ヘルメットを置き、上京してUNDER COVERの店長へ転身!

突如、アパレル最前線に立つことになった細谷氏の、次なるステージは!?

次回はUNDER COVER時代の話、そして執念の物作りエピソードもたっぷりとお送りいたします!

次回更新日は5月27日月曜日です!

TAKESHI HOSOYA 其の一

13/04/23

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

今回のお相手は?

妥協なき探究心と、ネタを見極める千里眼!

PUNKファンにおける本物志向の夢を叶えるブランド!

PEEL&LIFT!!!

デザイナー細谷氏のインタヴューです!

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ZERO MAGZINE(以下Z):
今回はPEEL&LIFTの細谷君のインタビューです。

細谷氏(以下H):
よろしくお願いします。

Z:
出身はどちらですか?

H:
出身は名古屋です。

Z:
いつ頃、東京に出てこられたのですか?

H:
え?っと、14年前ですかね。

Z:
それまではずっと名古屋でした?

H:
一時、大阪にいたこともありましたよ。

Z:
今回は、ファッションにスポットを当てて聞きたいんですけども、何がきっかけでPUNKファッションに目覚めたのですか?

H:
10代の頃はDCブランドブームで、GARCONSだったり、VIVIENNEが活動再開したりっていうタイミングだったんですよ。

とりあえずそっちの流れにいって、徐々に掘り下げて過去にさかのぼっていった感じですね。

そのまんま20年経ちました。

Z:
なるほど、もともとDCブランドだったんですね。

H:
そうです。

DCブランドと古着にハマってました。

Z:
音楽はどういったものを聴いてました?

H:
MTV世代だったんで『ベストヒットUSA』的なものから入り、レコードを買い漁ってライナーを読んでいるうちに、"元PUNKバンドの○○"みたいな情報を得て、いろいろ知識が増え いきましたね。

だからPILを先に聴いてからSEX PISTOLSを知ったんですよ。

Z:
なるほど、PISTOLSよりPILが先だったんですね。

H:
当時は高校生で、ディスコに通ってたんですよ。

だからPILを耳にするほうが早かったですね。

Z:
他に好きだったアーティストは誰ですか?

H:
THE SMITHSとかTHE CUREとか、そのあたりをよく聴いてましたね。

Z:
ちょっとNEW WAVEよりだったんですね。

H:
そうですね。

そこからさかのぼってPUNKを聴きはじめました。

Z:
やっぱりSEX PISTOLSがいちばん好きですか?

H:
好きですね。

Z:
THE CLASHは?

H:
比較するわけじゃないですけど、おもしろいと思ったことを調べていくうちに、PISTOLSに偏っていった感じですかね。

Z:
当時、VIVIENNEってあまり買えなかったでしょ?

H:
名古屋は物自体もなかったんで、結局、個人をたどって探していくって方法しかなかったんですよ。

口コミで○○さんが持ってるみたいな情報を得たりして(笑)。

Z:
そういった情報はどこから入手してたのですか?

H:
その頃はディスコや洋服屋の知り合い、あと同世代のそういったファッションが好きな友達とか、そういった筋から情報が流れてきましたね。

Z:
かなりコネクションが広がりました?

H:
そうですね。

県外のほうまで広がっていきましたよ。

で、そうこうしてるうちに、25歳のときに名古屋でお店をオープンさせたんですよ。

90%がVIVIENNEの古着っていうショップだったんですけど...

早すぎましたね(笑)。

その後ぐらいから原宿あたりで、VIVIENNEのヴィンテージを取り扱うお店が増えはじめたんですよ。

90年代に一度、VIVENNEブームが落ち着いてた頃があったんですけど、WORLDS ENDも底値だったんですよね。

LONDONに買い付けに行ったとき、こんな値段で買えるんだ! って驚きました。

Z:
やはりLONDONにはたくさんありました?

H:
WORLDS ENDは探せばいくらでもありましたね。

VIVIENNEは玉数がなかったですけど、いま考えると安かったですよ。

Z:
その名古屋のお店はどれぐらいの期間やってたのですか?

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H:
3年弱ぐらいですかね。

Z:
けっこう続いてたんですね(笑)。

毎月LONDONに買い付けに行ってたのですか?

H:
2?3回、買い付けに行った段階で、バイイングやってくれる知り合いを見つけたんですよ。

その人がVIVIENNEのスタッフと繋がりをもってたり、いろいろとコネクションがあったんでお願いしてました。

たしかUNITED ARROWSの立ち上げのときも彼はバイヤーをやってましたね。

Z:
お店は細谷君ひとりで運営してたのですか?

H:
実は、本業が大工だったんですよ。

実家が大工やってるんですよね。

Z:
ええ!

大工だったんですね。

H:
そうなんですよ。

だから友達のバイトの子にお店に立ってもらって、僕は朝8時から夕方5時まで現場に行って、大工が終わったら着替えてお店に行くっていう毎日でしたね。

Z:
たいへんですね(笑)。

大工はどれぐらいの期間やってたのですか?

H:
10年やってました。

コンクリートのビルなんかをつくる型枠大工だったんですよ。

Z:
ずっと外の作業ですよね?

H:
そうです。

だから気温の変化は1℃単位で身体で分かりますよ。

今日は昨日より1℃低いな、とか(笑)。

空気の湿りぐあいで、そろそろ雨が降るな、とか(笑)。

Z:
その能力は今でも持ってますか(笑)?

H:
いや、もうだいぶ鈍ったと思いますよ(笑)。

あと時計がなくても10時、12時、15時と時間が分かります。

Z:
なるほど、食事と休憩を体内時計で察知してるんですね(笑)。

大工の仕事って夏なんかは休憩しないと死にますもんね。

H:
ほんと年寄りなんかは危ないですよ。

Z:
僕も15歳の頃やりましたよ。

1ヶ月もちませんでしたけど(笑)。


大工のかたわらお店をオープンさせるという荒技をやってのけた

細谷氏!

後に、型枠大工で養った能力がデザインの現場でおおいに発揮されることになります!

次回は、いざ東京へ!

人生の第2ステップへと歩を進めます!

次回更新日は5月6日月曜日です!

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PEAL&LIFTのPOP UP STOREをCHOICEで開催致します!

初日の29日は細谷さんもCHOICEにご来店頂きます!

開催日程
4/29(月)13:00〜21:00
4/30(火)16:00〜22:00
5/ 1(水) 16:00〜22:00
5/ 2(木) 16:00〜22:00
5/ 3(金) 13:00〜21:00
5/ 4(土) 13:00〜21:00
5/ 5(日) 13:00〜21:00
5/ 6(月) 13:00〜21:00

お電話やメールでのお問い合わせは?

tel 06−6373−6136
e-mail info@choice-36.com

まで宜しくお願い致します!





小松雄次郎( BLACK MEANS )其の四

13/04/17

ZERO MAGAZINE インタヴュー!

blackmeans小松氏、いよいよ最終回!

偶然と必然が交差するPUNK人生、いよいよ佳境へ!

トークはさらに勢いを増し、急流に乗って突き進みます!!!

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K:
バイク便で働きはじめたある日、DEVILOCKの遠藤君に偶然出会ったんですよ。

遠藤君はTRA I VENTIが好きだったのもあって、過去にダブルネームの打ち合わせをしたこともありました。

今でも鮮明に憶えてるんですけど、遠藤君はバイク便やってる僕を見て、すごく寂しそうな顔をしたんですよ。

『なんでそんなことやってんの...?』みたいなことを言われたんで、会社がなくなっちゃたからバイク便やってるんですよ、って話したんですけど、寂しい顔をされたのが自分にとってちょっと ショックでしたね。

あと、デザイナーだった頃に、アパレルの人間として付き合ってた雑誌社にもバイクで届けることが多かったんですけど、そこでもいろいろと葛藤があったんですよ。

自分にもプライドみたいなものが少し残ってたんでしょうね。

好きでバイク便をやってるんだからいいんだよな...。

って自分に言い聞かせたりして。

でも、そういうことが続いたんで、精神的につらい部分がありましたね。

結局、1年半ぐらいバイク便をやってて、やっぱり服作りをやりたいなって思いはじめた矢先に、専門学校時代の友達から、『いまUNDERCOVERにいるんだけど、ウチで働かない?』って誘われたんですよ。

TRA I VENTIで働いてた頃は、PUNKとかけ離れてたんだけど、UNDERCOVERは少なからずPUNKと関係があったんですよね。

ただ僕は、PUNKに本物だけを求めてきましたから、そういった部分でちょっと違うかなって思ったのも事実です。

だから即答はしませんでした。

Z:
なるほど。

K:
アパレルの仕事に就けるっていうのは魅力的だったけど、すごく葛藤したんですよね。

とにかくUNDERCOVERの服を見にきてくれって言われたから、事務所に行くと、ちょうどSCABっていうボロを作っているシーズンラインだったんですよ。

Z:
はいはい、ありましたね。

K:
自分がかつて作ってたボロを、そこでは売り物として作ってたんですよ。

それを見て、こいつら...なんてことをしてくれるんだ!っていう怒りが一瞬わき起ったんですけど、同時に、これをコレクションで発表することってすごいことだなって強く感じたんですよね。

そして、自分に衝撃を与えたPUNKと、服作りが同居しているブランドはここしかないなって確信しました。

自分がいちばんだと思って作ってたボロを量産して売ろうとしてやがる!

もう、僕の負けだ...と(笑)。

悩みに悩んで考えて、結局、UNDERCOVERに入ることになりました。

はじめてジョニオさんに会ったとき、

『いままで何の仕事をやってたの?』って聞かれたんでDEAD ENDっていう店で働いてましたって話すと 『ヤバい!!!』って言われましたね(笑)。

ジョニオさんからすると、攻撃してくる敵が入ってきた的なことを思ったんじゃないですかね。

Z:
なるほど。

K:
TRA I VENTIは当時のアパレルでいちばん仕事がキツいって噂だっ たんだけどUNDERCOVERもそうだったんですよ。

実際に人もどんどんヤメてましたしね。

Z:
また極限に放り込まれたんですね(笑)。

K:
結局、UNDERCOVERは3年ぐらい勤めたのかな。

Z:
常に3年ぐらいですね(笑)。

K:
そうですね、それぐらいがいちばん去り時だなって思うんですよ。

Z:
商売も3年やってダメだったら諦めろって言いますもんね。

K:
僕にとって3年という期間が、サポート的な仕事としては役に立てる長さだったと思うんですよね。

それ以降はUNDERCOVERの方向性がちょっと変わっていきました。

それがデザイナーのやりたいことだったから、僕も十分に納得してヤメることに決めたんですよ。

で、そんなこんなをいまの革の会社に話してたら、ウチで働いてくれって誘いを受けたんですよね。

岐阜にある革工場の会社で、TRA I VENTIの製品もその工場で作ってたんですよ。

社長から、『ウチを縫製だけじゃなくて加工もできる会社にしてほしい』って言われたんですよ。

さらに『もっと仕事をとってきてほしい』とも言われて、あ...それって、得意かも!って思ったんですよね(笑)。

Z:
自分の出番だと。

K:
そうです。

さっそく、UNDERCOVERをヤメた次の日からそこの会社で働くようになりました。

会社は岐阜だったから、最初は東京の自宅で仕事をはじめたんですよね。

まず、いろんなブランドに営業をかけようと思ったんですけど、考えてみると他のブランドのことをあまり知らなかったんですよね。

とりあえず雑誌を買って研究して、日本製の工場で採算の合うブランドを探しました。

縫うだけじゃなくて、加工もできるってことを武器にして、リストアップしたブランドに片っ端から営業をかけまくりましたね。

僕が入った年は年間6000万円ぐらいだった会社の売り上げが、毎年1.5倍ずつ増えていったんですよ。

結局、2億円ぐらいのところまで伸びていきました。

Z:
おお!凄い!!!

K:
僕ひとりでは、当然それだけの仕事量を捌けなかったから、一緒に加工できるパートナーが必要になったんですよね。

で、TRA I VENTI時代に一緒だった有賀兄弟に声をかけたんですよ。

その2人もクラストにハマってて、ボロの加工パンツを自分たちで作っては、お店に卸して売ってたんですよね。

それで生活をしていると。

これは誘わない手はない! と思って、一緒に仕事をするようになったんですよね。

それで東京のいまの場所をシェアして、彼らは彼らで自身のブランドを続けながら加工を手伝ってもらうようになりました。

スタートした時点で、すでに1500着の加工の仕事が決まってましたね。

Z:
ってことは、ひとり500着!

大変ですね...(笑)。

K:
もう、がむしゃらでしたよ(笑)。

最初、会社に入ったときの約束事で、営業をとってほしい、加工をできる工場にしてほしい、自社ブランドをやりたい、という3つがあったんです。

1つ目と2つ目は完全にクリアしたので、残る3つ目のブランド設立に着手してほしいと社長に言われたんですよね。

それから3人でblackmeansを始めることになったんですよ。

Z:
blackmeansは、スタートして何年目になるのですか?

K:
6年目になりますね。

そもそも革って高価じゃないですか。

だから、売れるものって考えると、シンプルで誰でも着れて、安価な牛の革を使ったシングルのライダースって決まってくるんですよ。

リスクを背負いたくないから、作るものがどんどん無難になっていって、新しいものを作る方向にいかないんですよね。

みんな臆病になってしまうわけです。

それってつまらないと思いません?

Z:
そうですね。

K:
売れてるものをデータで吸い上げて、それを基に作っていくファッションなんておもしろくないし、新しい製品が生まれなくなっていきますよね。

だから、blackmeansは、はじまった当初から、革でこんなことができる! っていうのを提案していく責任感みたいなものがあったんです。

しかも、日本の革業界は金額も高いし、関わる人間も高齢化してて老人ばっかりなんですよね。

今の日本の経済と同じで、革業界も停滞している空気があって、新しいことをやっていかないと、生き残っていけないんですよ。

そういう状況を変えていきたい、という思いでblackmeansをはじめました。

Z:
なるほど?。

K:
最近では、海外の革製品も技術が上がってきてて、なおかつ安価で流入してくるんですよ。

だから、いまの時代、日本のブランドは敵味方なんて関係なく 、国内製品を盛り上げるために力を合わせていかなきゃなって思ってます。

"MADE IN ITALY"とか、"本場アメリカの"とか、そういったものがオシャレみたいな風潮ですけど、僕はそれってなんか違うんじゃないかな? って感じるんですよね。

ドイツ人を例にとると、彼らは自国の製品に対してすごいプライドを持ってるんですよ。

一方、日本人は"日本製"ってことを、宣伝文句にしか使わないんですよね。

Z:
たしかにそういう部分がありますね。

K:
売り上げをとるためだけに、"日本製にこだわってます"と表記する、みたいな。

変な屈折が起こってますよ。

Z:
そういったなかで、blackmeansはどういった方向へ進んでいきますか?

K:
まず、僕は日本のPUNKやハードコアを世界で1番かっこいいと思ってるんですよ。

音楽、ファッションともにそうです。

PUNKが商売と関係すること自体、悪とする考えがかつての僕にはあったんですけど、いまはもっと表へ出て、多くの人に触れてほしいと思うんですよね。

偶然にも僕は、PUNKとファッション、両方の世界にいたんで、それらを世界中で見てもらえるような環境を作っていきたいです。

UKやUSとは違った形で日本のPUNKは進化し続けてると思うんですけど、音楽とファッションとの間に、まだ偏見や壁が存在してると感じるんですよ。

それを打破していきたいですね。

一度は絶望してしまったPUNKですけど、長く続けてきた人たちの手によって、良い方向に進化していっている事を実感しています。

長くPUNKをやってきた人たちって、いろんな経験をしますよ。

Z:
何事も長くやるっていうのは難しいことですよね。

K:
ほんとそうです。

とにかく、日本のPUNKのもっとカッコいい部分を一般の人に広めていきたいというのが、今の自分の思いです。

Z:
素晴らしいと思いますよ。

K:
blackmenasの最近の話だと、BERBERJINとの鋲ジャンがあり ました。

日本の鋲ジャンが世界的に見ても本当にかっこいいものなんだ! っていうのを、ファッションの人たちに分かってもらいたかったんですよね。

日本の歴史のなかで独特の進化を遂げてきた鋲ジャンは、世界の中でも間違いなくナンバーワンだと思ってます。

今後のblackmeansの動きとしましては、そういった鋲ジャンをPUNKシーンだけでなく、ファッションシーンにも本物はこれだっていう事をしっかりと提示したうえで、お互いの壁をなくしていこうと考えてるんですよ。

ファッションシーンで作られる鋲ジャンはイタいものが多いですからね。(笑)リアルである事がもっとカッコいいって事を見せてあげないと。

2月にNEW YORKで、日本の革業界と国が絡んだイベントがありました。

それにblackmeansも参加したんですけど、そこでは製品のクオリティだけじゃなくて、日本の空気も伝える為にTURTLE ISLANDも一緒に行ったんですけど、JAPANESE PUNKと和の伝統を世界へ発信するチャンスとしてはいいきっかけでしたね!

Z:
すごいですね!

K:
そのイベントは、もともと経済産業省が、日本の革を海外へ広めていくっていう活動で、国から一部予算が下りるんですよ。

実は去年もその話をいただいてたんですけど、断っていたんですよ。

どういったもだったのかを調べたら、まず予算があって、日本のブランドをいくつかチョイスして、海外へ持って行ってあげます、ってことだったんです。

ブランドからすると、ただ服を作って海外へ持っていくってだけの作業なんですよ。

それだけだとブランド側が受け身になってしまって、そこで何をやるか?というアイディアを考える部分が抜け落ちてしまうんですよね。

海外で見せることによって、売れるかも知れないっていう期待があるでしょうけど、それだけじゃ難しいんです。

そこにアイデアを盛り込んで、説得力のある物としての形を作らないといけない。

僕は、どうせ海外へ行くのなら意味のある行動にしたかったんですよね。

だから僕らが今回がっつり入り込みました。

Z:
なるほど。

K:
革ジャンを見せるだけじゃなくて、日本の空気を伝えるには、それプラスアルファが、かならず必要だと思うんですよ。

視覚だけじゃなくて、音楽という聴覚を刺激するものが合わさると、もっと説得力のあるものが生まれると。

TURTLE ISLANDはそれに相応しいバンドです。

だからTURTLE ISLANDが行かないのであれば、僕らは行かないよって条件を出したんですよ(笑)。

Z:
そうなんですね(笑)。

K:
単に日本でチョイスされたブランドだけで行っても成功しないですし、すべてを伝えきれないですからね。

国から大切なお金が出るのなら、意味のあるものにしないといけないです。

日本でも同じような事をやりたいと思っているんですけど、日本のPUNKバンドがPUNKフェスティバル的に原宿 でライブをやるってのも、おもしろいかも知れないですね。

代々木公園でTURTLE ISLANDにライブをやってもらうんですけど、それに新旧のハードコアのバンドを噛ませていくと良いと思うんですよね。

昔って、原宿にはPUNKSが溢れてたじゃないですか。

日本中のPUNKSが原宿に集まってくるとすごいんじゃないかと。

そういう流れを作りたいんですよね。

Z:
すごい構想ですね。

K:
それをFASHION WEEKにやると、鋲ジャンがある、ライブがある、で、全国からPUNKSが集まると思うんですよ。

さらに、FASHION WEEKだと海外から多くの人が来日するじゃないですか。

そういう人たちが原宿や青山に来ると、『日本って、どうしてこんなにPUNKだらけなんだ?』って錯覚を起こすと思うんですよ(笑)。

Z:
おもしろいですね(笑)。

K:
僕らがすべてのライブを企画するんじゃなくて、その時期に合わせていろんな人が企画すれば、多方面から盛り上がると思うんですよね。

それが毎年恒例の行事になってくると最高ですよ。

80年代に活躍してたPUNKの人たちの意志を、現代の人たちに受け継いでいく機会って、今やなくなってると思うんですよね。

昔のPUNKシーンの写真展なんかも絡めて、現代に発信していかないと、PUNKが過去のものとして葬り去られる可能性 があると感じてます。

だからいまが最後のチャンスかなと。

日本のPUNKが昔からいまも継続していることを広く伝えたいですね。

だから、いろいろお手伝いください!

Z:
分かりました!

手伝えることがあれば、やらせていただきます。

今日はどうもありがとうございました!

K:
こちらこそ、ありがとうございました!

ファッションのみならず!

PUNKを文化として残すことに尽力するblackmeans!

その目線は国内のみならず、世界へと向けられています!

常に"本物"だけを追い求め、自国の製品にプライドを持ち、多勢から脱却しようとする姿勢そのものがPUNKであると思われます!

いまの日本こそ必要なのがPUNKの原動力!

PUNKが時代を変えます!!!

次回更新日は4月29日月曜日です!
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