INTERVIEW

TAKESHI HOSOYA其の三

13/06/11

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

PEEL&LIFT細谷氏、其の三!

再びPUNKアイテムコレクター話を交えながら、

強烈にストイックな!

執念のSIDベルト作りエピソードをお送りします!

今回も目が離せません!!!

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Z:
最近、往年のPUNKファッションのブームがまたきてますよね?

H:
初期のVIVIENNEなんかは、オークションやeBayを見ててもかなり高いですね。

Z:
僕も23歳ぐらいのときに、いま売っておかないと、値崩れ起こすかも知れないと思って手放しましたよ。

HARRIS TWEED&デニムのヤツとか、けっこう持ってたんですけどね。

H:
SEDITIONARIESに関していうと、買ったときの値段を割るっていうのはまずないですね。

Z:
WORLDS ENDは比較的安くなるのに、SEDITIONARIESはどうして値崩れしないんでしょうね。

H:
WORLDS ENDは一時、ヤフオクで捨て値で売られてて、これが2万円で買えるの? ってのがゴロゴロあったんですよね。

目ざとい人はヤフオクで仕入れて、eBayで売ったりしてましたよ。

Z:
WORLDS ENDって海外では高値で売られてるのですか?

H:
その時は、JOHN GALLIANOとかがWORLDS ENDをわざと着たりしてて、値段がちょっと上がってたんですよね。

Z:
そうだったんですね?。

青山で働きはじめたのは何歳の頃ですか?

H:
29歳でした。

Z:
働いてみてどうでした?

H:
単純に楽しかったですね。

いい加減な年齢で上京してきたけど、東京にはたくさん友達がいたのでよかったです。

毎日、好きなことだけをやってる感じでしたよ。

Z:
東京で働きはじめてからも、SEDITIONARIESとか買い続けてました?

H:
ひたすら買ってましたね。

UNDER COVERの頃はボーナスが出たら、ほとんどをそっちにつぎ込んでました。

ちょうどeBayにハマったんですよね。

当時のeBayは今みたいに商売として利用してる日本人があまりいなくて、マニアだけの世界って感じだったんですよ。

Z:
コレクションは何点ぐらい持ってるのですか?

H:
もう洋服は、ほぼないですね。

残ってる物はUNDER COVERの事務所でまとめてディスプレイしています。

だから手元にないんですよ。

所有者は僕なんですけど、ディスプレイとして収納されてるんで、自由に出し入れできない状況ですね(笑)。

Z:
なるほど、捕獲されてるわけですね(笑)。

H:
紙物系のコレクションなんかはまだ手元にあるんですけどね。

Z:
ところで、PEEL&LIFTは、なぜはじめようと思ったのですか?

H:
UNDER COVERで働いていた頃は、原宿の店員がブランドを立ち上げました! っていうのが、超かっこ悪いと思ってたんですよ。

というのも、物を作る側と消費する側は、絶対に線を引かれるというか、別の人種だと考えてたんで、僕は消費する側でいいやと割り切ってたんですよね。

そういった考えがあったんですけど、ある日、ふと思い立ってSID VICIOUSのスタッズベルトを作ってみようと思ったんですよ。

いまも定番でたまに出してるんですけど、どうしても見つからなかったヴィンテージの鋲を復刻で一から作って。

Z:
それは、めちゃくちゃコストがかかりますね。

H:
そこはブランドをやってる友達が援助してくれたんですよ。

僕がバックアップするって形で作りました。

Z:
その鋲はどこで作ったのですか?

H:
鋲を探して、イギリスのスタッズ屋やアメリカの業者に問い合わせたり、いろんな国へバイイングに行ってる知り合い何人かに声をかけたりしました。

WENDY'Sの工房の端っこに、目当ての鋲が2?3個転がってたんですけど、そんな数じゃとても作れないしな...

と思って、自分で型を起こして作ったんですよね。

余談ですけど、僕がそうやって全世界に発信して探しまくってたのもあって、いまはWENDY'Sでその鋲を作ってるんですよ。

日本人が探してるから商売になるかも知れないって考えたんでしょうね(笑)。

Z:
鋲は日本で作ったのですか?

H:
そうですね、浅草メイドです。

作り方はいまも同じ作業をやってるんですけど、SIDの写真のベルトをノギスで測って、他の身に付けている物の長さと比較して、計算で割り出して長さをはじき出すんですよ。

Z:
数学の世界ですね(笑)。

H:
建築の仕事をやってただけあって、図面を引くのは得意ですからね(笑)。

後にWENDY'Sが作った鋲と、自分が写真集から割り出して作った物の寸法を比べたら、コンマ数ミリしか違わなかったです。

Z:
それはすごいですね!

H:
我ながらいい読みをしたって思いますよ(笑)。

あのベルトは、もともとJOHNNY ROTTENが付けてて、それをSIDに譲ったみたいですね。

作りはじめた初期の頃は、SIDの不鮮明なモノクロ写真しかないような時代だったんですよね。

でも最近になってインターネットが発達してくると、いろんな写真が発見されるじゃないですか。

それでさらに調べ進めてると、ベルトの剣先の形が違うってことに気付いて、新たに改良したバージョンを作りました。

Z:
完成形ができあがったと。

H:
ほぼ完璧に近い物が出来上がりましたね。

Z:
すごい執念ですね。

H:
SIDのベルトのバックルに関しても、昔に中学生がしてたような、ああいうバックルって、もう作ってないんですよ。

型は残ってたんですけど、生産されてなかったんですよね。

それも復刻して作ってもらいました。

Z:
そういうバックルって、少量でも作ってもらえるのですか?

H:
ええ、作ってくれますよ。

型を起こすっていうよりも、手曲げっていうか、手作業でやるんですよね。

そんな感じで、他にもいろいろ作りたいなっていう気持ちが強くなってきた感じです。

ちょうど同じタイミングで働いてたところのスタッフの人数が増えたりして雇用形態が変わるって話がでて、他にも思うところが色々あったんですが、悩んだ末に辞めることにしました。

Z:
結局、何年働いたのですか?

H:
6年ですね。

Z:
けっこう長かったんですね。

退社したあと、すぐにブランドを立ち上げたのですか?

H:
そうですね。

半年ほどかけて準備をして、友達に協力してもらって展示会を開きました。

UNDER COVERのときは店に立ってたんで、卸先のオーナーさんとも面識があったんですよね。
ブランドを立ち上げたんで、取り扱ってもらえませんか? と、話を持ちかけたら、けっこういい感じで食いついてくれたんですよ。

青田買いじゃないですけど、立ち上げ直後からオーダーをいただきました。

なんとか展示会で2期目まではこなしたんですけど、その後は傾きはじめて、だんだん資金が回らなくなっていったんですよ。

で、先輩で紹介してもらった焼き肉屋で働きながら、細々とブランドを続ける生活になりました。

Z:
それは何歳ぐらいのときですか?

H:
38歳ぐらいから焼き肉屋で働きはじめて4年ぐらい、一昨年の夏まで働いてましたよ。

結局、焼き肉屋の拘束時間が長すぎて、洋服を作る暇なんてないに等しい状況でしたね。

だからしばらくは焼き肉屋1本の生活が続いてました。

Z:
そこでは肉を切ってたのですか?

H:
そうですね。

ちょっと変わった焼き肉屋で、寿司屋みたいなカウンターがあって、お客さんの目の前で肉を切ってカウンター越しに出す、っていうお店でした。

カウンターに立って肉を切ってましたよ。

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特別捜査官も顔負けの解析能力で作り上げられたSIDベルト!

その緻密なプロダクトは、世界中を見ても例をみない職人技です!

UNDER COVERから一転、包丁を握りはじめた細谷氏の次なる施策は?

次回はいよいよ最終回、ズバリPEEL&LIFT話です!

ZERO MAGAZINEインタヴュー!

PEEL&LIFT細谷氏、いよいよ最終回!

焼き肉屋で働くかたわら、ふつふつと煮詰めてきたブランド、

PEEL&LIFT!!!
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